おはようございます。
近頃老眼がひどいです・・・
合う老眼鏡があればいいのですが、とりあえず買ったのが
慣れないのかかけると気持ち悪くなります。
裸眼で頑張るか・・・・
どうも、混合性結合組織病(ネフローゼ症候群)で入院していたまみです。
入院生活も前の病院と合わせて2週間以上になる。
その間にもいろいろあった。
私の隣の明るいおば様は、私が入院してから数日で退院した。
この方は、たまに仕切りのカーテンが動いて、お互いがチラ見えていたので恥ずかしくなり
私が「すみません(^_^;)」と言ってカーテンを直していたのだが
「ああ、私は全然気にしないし大丈夫なんだけど(笑)」
と優しい方だった。
最初の入院のお隣さんが、この方で良かった。
そして、お向かいの若いらしき女の子は、夜中体調が悪くなりナースコールを呼んだりもしたがまた定期的に検査すればいいとのことで退院していった。
この2週間で私以外どんどん変わっていく。
それぞれ入院、退院。みんな、短期間なんだろうなと思ったりもした。
そして後に、私より一回りくらい歳の離れた女性が入院してきた。
その方は、病室にくると私の部屋の前の壁をノックして
挨拶に来られた。
持続点滴で、ベッドに寝たきり(でもないが)で
「あ、こんにちは、起きなくても大丈夫です。お向かいに入ります。よろしくね。」
とても丁寧だった。
そんな事もあるんだなーと思っていた。
私は入るときには、逆に気を使って挨拶はしない派だった。
まだまだ私の入院生活は続く。
6月15日土曜日。
総尿量1680ml。
段々と成人の1日の尿量になってきた。
それでも、体内に残っている水分があり体重も57kgなのでまだまだだ。
色々なものの体内バランスがとれないと、減量(水分)できない。
前回でも書いたが、薬が効いてきたのか尿意がすごくなるのが利尿剤だ。
点滴を始めて少しはそうでもないが、ある程度時間が経つと尿意がぐっとくる!
たまに点滴をしている最中に看護師さんが来るのだが、タイミングが悪いと
「先にトイレ行ってきていいですかあ?!?!😰」焦る・・
ってなるくらい。
そうして、数分後またトイレ。
落ち着くまで何回もトイレに行くことになる(笑)
ステロイドの点滴は午前中に済ませておくらしい。
夜だと、眠れなくなる副作用が出るようだ。
血圧調整、利尿剤、ステロイド。
飲み薬もある。
まあ、治すために入院しているのだから言われた通りに頑張るしかない。
毎度だが、シャワーの時間はスッキリはするが大変だった。
誰か入っていないか確認して、空いている時間に使わせてもらう。
点滴をロックしてもらい、ネットをする。
その上から、サランラップの様なもので水滴を防ぐ
早く入らねば!!!誰かが入ってしまう!
いつも急いで洗面器セットを持って行っていた🧎💨
シャワー室は簡易的なもので狭くてなかなか動きづらい。
私は足が浮腫んで痛かったため、椅子に座って洗っていた。
それでも足は下向き。水分が足に集中して溜まっていく。
痛い、痺れる。
効率よくさっさと済ませなければと思い、いつも試行錯誤していた。
とりあえず、リンスインシャンプー、後は牛乳石鹸で顔から下を洗った。
牛乳石鹸万能!!!!!!赤いほうね。
シャワーを終えたら、6月だったため髪の毛は自然乾燥にまかせていた。
顔には化粧水が混じったくらいのゆるいオイル。それで終わり。
長い髪はいつもヘアクリップでまとめていたので、持っていて良かった物だ。
洗濯物だがたまにコインランドリーを使用していた。
今回は自宅まで2時間近くかかるため差し入れができなくて、衣類もタオルも洗い、使い回し洗い〜の手持ちでなんとかするしかなかったのだ。
あの病室の狭い空間に、生活用品がぎっちり詰まっていた。
食事は作らなくてもいい、出していただける、片付けてももらえる。
人間って、これだけの物があれば生活できるんだな。
こんな身軽なんだ。
家に帰れば物で溢れかえっている。
今このブログを書いている時ですら、減らして買わないようにしているがたくさんの物がある。
入院生活でたくさん考える時間があった。
人間、身ひとつで生まれてくる。
生きていくうちに少しずつ物が増えていくが、最低限の物で暮らすことが私にとって楽な気がしていた。
病院のベッドまわりには生活感溢れる最低限の物を置いていた。
シーツも定期的に交換、掃除もしていただけた。
動ければリハビリにと思っていたが、歩くのにも足元がおぼつかないためいつも身の回りはお願いしていた。
自分でするのは当分先だな。
6月16日 日曜日
すこーーーーーーーーしずつだが、体重が減っている。
この辺から変なテンションになっていた。
前もダイエットと同じと言っていたが、数字にでるとやはり嬉しい。
見た目は特に変わらないが、体重計を見る度ニヤニヤしていた。
尿量は前日とさほど変わりない。
体感的には本当に『出だしたな!』という感じでスッキリだ。
この日は旦那が子どもを連れてくると言う。
この頃下の子達はまだ低学年。
1年生と2年生だ。
私が居ない間は、母親に頼み、休みの日は旦那がお世話をする。
たまにのお出かけでしかも遠出。楽しみだろう。
私はいつもラインでスノーや、色々送っていたがやはり直接顔が見たい。
学校生活はどうなのか、1年生の子が気になる。
日曜日。病院全体静かだ。ゆっくりしていた。
外でこそこそ話し声が聴こえる。
子どもたちを連れて来た☺
キョロキョロしている。
こんな大きな病院は初めてで、珍しいのだろう。
途中スタバ(笑)あったとか言っていたので飲みたいのか。贅沢な・・・・
病室には患者さんがいるので、食堂へ行った。
ここなら、気にしなくても会話出来る。
久しぶりに会う子どもたち。
とても元気だ。
タオルや下着、ブラトップワンピなど頼んでいたものも持ってきてくれた。
いつも口うるさい私だが、やはり会いたかったのか嬉しそうにニコニコしていた。
私が居ないから逆にしっかりしないといけないのか自覚はあるように思う。
大変な病気だとはわかっているはずだ。
長い入院生活になるとは旦那からもしっかり言われていると思う。
小さな頃はミジンコのような(笑)絵だった。
それからアンパンマンらしき絵になり→人の形まで描けるようになったのか・・・・
成長は早い。
学校での話や、私の母も面倒を見てくれているし頑張ってるとか。
病院食どんな?私の点滴痛そうなど。
旦那も久しぶりで、わかる範囲で家の様子を教えてくれた。
真ん中の子は、お姉ちゃんの自覚があるのかしっかりしていた。
年子で、一つ下の末っ子は男の子だが仲が良い。
双子のようだ。
自販機でジュースを買ってあげると、二人ともご満悦だった。
時間はすぐだ。わいのわいのいっていたのもあっという間。
晩ごはんにお弁当を買って帰ると言って、用意をしていた。
エレベーターが上がってくるのを待ちその前まで送っていったのだが・・・・
今でも思い出すと、涙が出る。
忘れられないし、光景が思い出される。
長女はしっかりしないとと思っていたのかいつも通り。「かーかんまたね。来るからね。」
と言っていたのだが、末っ子の次男が震えながら無言で下向いてポロポロと涙を流していた。
我慢していたのだろう。
またしばらく会えない、いつも家でぐっとこらえていたのか。
小さいのに、よく子どもたちは頑張っている。
震えた声で「かー・・・かん・・・」
我慢していたが、私も涙が出てしまった。
「またおいで、待ってるけん。かーかんも早く治るよう頑張るから。」
背中をさすって、頭を撫でてやった。当分会えないから。
エレベーターが着いた。
乗り込む時も、名残惜しそうに。離れたくない様子が漂っていた。
そりゃそうだ。小学校1年生なんて本当に少し前まで保育園に通っていたような小さな子だ。
表向きは子どもらしく、ゲラゲラしていてもまた私と離れるとなると
辛いのだ。
私も基本家では、ワーワー言っているので今は普段どれだけ静かなのだろうか。
旦那も仕事上、ほとんど家に居ない。
また静かな家に帰ると寂しくなるはずだ。
辛かったが、私の母親にもかなり負担がかかっている。
この子達を見て、更に早く治して退院しなければという思いが強くなった。
本日もお読みいただきありがとうございました👋😄
※今回書きながら思い出して、しんみりしてしまいました。
あれから随分経ちますが、それぞれしっかり(末っ子は横にもwwww)育ってます。
3人子どもがいますが、みな個性が豊かで面白いです。
私の病気は完治ではなく、良くて寛解という状態にしかもっていけずのものです。
更年期とも重なり・・・
精神的にもお薬を出されている今ですがしっかり自分を持って生きていこうと思いました。
では。また。